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  <title>QutugPukiWiki</title>
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  <description>PukiWiki</description>
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 <title>卒論引用文献の書き方</title>
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 <dc:date>2008-11-20T18:36:40+09:00</dc:date>
 <description>※書名の引用のしかた：　著書（単行本）のばあい：松川節（著）1998　『図説・モンゴル歴史紀行』　東京。河出書房新社（ふくろうの本）　雑誌などに掲載された論文のばあい：松川節（著）2004a　「サンクトペテルブルク大学図書館所蔵モンゴル語写本大蔵経の『佛説北斗七星延命經』訳註」　『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』21, pp. 11-43.松川節（著）2004b 「チベット自治区博物館蔵五言語合璧『如來大寶法王建普度大齋長巻画』（1407年）のモンゴル語テキストについて」　『大谷学報』82:4,...</description>
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<![CDATA[
※書名の引用のしかた：<br />
　著書（単行本）のばあい：<br />
松川節（著）1998　『図説・モンゴル歴史紀行』　東京。河出書房新社（ふくろうの本）<br />
　雑誌などに掲載された論文のばあい：<br />
松川節（著）2004a　「サンクトペテルブルク大学図書館所蔵モンゴル語写本大蔵経の『佛説北斗七星延命經』訳註」　『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』21, pp. 11-43.<br />
松川節（著）2004b 「チベット自治区博物館蔵五言語合璧『如來大寶法王建普度大齋長巻画』（1407年）のモンゴル語テキストについて」　『大谷学報』82:4, pp.001-015.<br />
　共著者がいる著書（単行本）のばあい：<br />
双福・松川節(共著)2002　『《誕化世傳》研究』（モンゴル文）呼和浩特,内蒙古教育出版社。（517pp.）
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<dc:creator>tmatsu</dc:creator>
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 <title>チンギス=ハンの青年時代（２）</title>
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 <dc:date>2008-07-29T15:14:57+09:00</dc:date>
 <description>梳り、また首枷のため、すりむけている部分に、毛氈の細片をあてて痛みをやわらげてくれた。		&amp;#182;梳り、また首枷のため、すりむけている部分に、毛布の細片をあてて痛みをやわらげてくれた。		&amp;#182;タイチウトの一首領タルグタイは＜キリルトク＞すなわち＜憎らしい＞という異名を持っていたが、テムジンを首枷の刑に処した。この首枷は拷問の刑具で、その一面を三日月型に切り込んだ		梳り、また首枷のため、すりむけている部分に、毛の細片をあてて痛みをやわらげてくれた。		水面にはただ鼻孔だけを出した。タ...</description>
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<![CDATA[
チンギス=ハンの青年時代（２）<br />
テムジンは青年時代のある日、単身でタイチウト氏族に捕らえられたことがあった。		タイチウトの一首領タルグタイは＜キリルトク＞すなわち＜憎らしい＞という異名を持っていたが、テムジンを首枷の刑に処した。この首枷は拷問の刑具で、その一面を三日月型に切り込んだ		二枚の板より成り、これを罪人の肩にあて、これを連結してその首にはめ込むのである。		伝えるところによると、テムジンが捕虜となると、一老婦人がかれにかしずき、かれの頭髪を		梳り、また首枷のため、すりむけている部分に、毛氈の細片をあてて痛みをやわらげてくれた。		テムジンはついに脱走方法を見つけ、小さな湖水に行って身を隠し、首枷を水の中に沈め、		水面にはただ鼻孔だけを出した。タイチウト族はこの地に来て、かれを捜したが発見することができなかった。しかし、そのなかに一人のスルドス部人がいてテムジンを見つけたが、この者はかれを助けようと決心した。その仲間が遠ざかると、かれは若きテムジンを水から救い上げ、その双肩を押し下げていた首枷をはずしてやり、自分の住居に案内し、羊毛を積んだ荷車のなかに潜ませた。テムジンを捜索していた人たちは付近を捜し回ったが、その効なく、このスルドス部人の家に来て、厳密に捜索し、テムジンを蔽い隠していた羊毛の中に杭を投げこんでもみたが、まったくその甲斐がなかった。かれらが立ち去った後、このスルドス部人はテムジンを牝馬に跨がりらせ、焼肉を与え、武器を給して、自分の家へ帰らせた。ソルカン・シラと呼このスルドス部人は、その後しばらくして、タイチウト部人の怨みを避けるために逃亡することを余儀なくされ、テムジンのもとに赴いたが、テムジンはその後も、その受けた恩義を忘れなかった。		また、ある時テムジンはさらに大きな危険に遭遇したことがあった。		テムジンが十二人のタイチウト部人の一隊を見つけたとき、自分の左右にわずかに、ボオルチュとボロウルという二人の友を従えていたにすぎなかった。テムジンは勇敢にかれらに立ち向かったが、十二本の矢は一斉に放たれ、かれは口と咽喉とに負傷し、苦痛の激しさのあまり、意識を失って倒れ、二人の戦友が近づいて見ると、テムジンはきわめてはげしい痙攣に襲われ、地上にころげ回っていた。ボロウルはいくつかの石を熱し、それに雪の塊を投げ、蒸気の立ち上がるところへテムジンの口を持って行ってさらし、その咽喉の中の凝結した血を排出させたが、これによってかれはいくらか呼吸が楽になった。雪が降りしきっていたので、ボオルチュは外◎を取って、両手で負傷者の頭上にこれを支え持ち、一晩中、そのままの姿勢で動かず、雪はかれの腰までも積もったのであった。		夜明けになって、かれはテムジンを馬上におき、かれの家へ連れ戻した。		ボオルチュとボロウルとは、後年に、この際における献身的行為の報酬として＜タルカン＞の特権を与えられた。この称号を帯びる日おはいっさいの課税を免除され、戦争で「自ら」得た分捕り品の全部を自由にすることができ、いつでも自由に君主に謁見することができ、また罪を犯しても八回までは処罰を受けず、第九回の犯罪から以降、罰せられることになっていた。<br />
担当：高橋
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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 <title>テムジンのワンカン救助</title>
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 <dc:date>2008-07-28T12:17:50+09:00</dc:date>
 <description>　多年にわたって君臨した後、トオリル・ワン・カンは、ナイマン族の支援を受けたその弟のエルケ・カラに位を奪われ、タルタリーの西方に位置するカラ・キタイ[黒契丹、西遼]の領域に避難してこの帝国の君主に援助を乞（こ）うたが失敗に終わった。万策尽きて、かれは多年放浪生活をおくり、全財産としてわずかに数頭の羊しかなく、その乳を食料とするだけであった。ついに、かれの旧友イェスゲイの子が諸部族の長になったというしらせを聞きや、かれは往（い）ってこれに参加しようと決心した。かれは一一九六年の春、グセウル湖の付近...</description>
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<![CDATA[
　ワン・カンの祖父マルクズ・ブイルクはかつてタタル民族の君主ナウル・ブイルクの捕虜となり、北方中国の皇帝[金朝]に引き渡され、木馬の上に釘打ちされて処刑された。かれの寡婦は夫の死の仇を報いようと決心して、ナウル・ブイルクに朝貢するという口実で会いに行き、貢物として羊百頭、牝馬十頭と革袋百個をもたらしたが、この革袋は≪クミーズ≫[乳酒]を一杯満たしたように見せかけて、その実、いずれも一人ずつ武装兵を潜めていたのである。これらの戦士はこの女王のために催され宴会のたけなわの折り飛び出して、女王の従者と合同してタタルのカンはもちろん、その席に連れなっていったタタル人すべてを殺した。		　マルクズは、クルジャクス・ブイルクとグル・カンという二子を遺したが、前者が王位を継いだ。これが死ぬと、その六子の一人であるトオリルは、二人の弟と多数の甥（おい）を殺して、自ら最高権力を握り、宗主たる[金朝の]皇帝から中国の≪オァン≫すなわち王の称号を受け、さらにかれはこれにカンの称号を添えた[すなわち王・罕（ワンカン）と号した]しかし、近隣のナイマン民族の首長イナンチュ[・カン]のもとに難を避けていた叔父のグル・カンはその援助の下に兵を挙げ、トオリルを破り、ケレイト族を指揮した。トオリルは百人の騎士とともに難を避け、テムジンの父、イェスゲイに援助を求めたので、イェスゲイはグル・カンに対して兵を進めた。イェスゲイはグル・カンに迫ってタングート地方へ避難させ、ワン・カンをしてその領土を回復させた。ワン・カンは、このような恩義に感謝し、杯を手にして、イェスゲイに永遠の友誼		を誓ったが、これがタタル諸民族の間で≪アンダ≫つまり≪誓い合った友≫になるということである。		　多年にわたって君臨した後、トオリル・ワン・カンは、ナイマン族の支援を受けたその弟のエルケ・カラに位を奪われ、タルタリーの西方に位置するカラ・キタイ[黒契丹、西遼]の領域に避難してこの帝国の君主に援助を乞（こ）うたが失敗に終わった。万策尽きて、かれは多年放浪生活をおくり、全財産としてわずかに数頭の羊しかなく、その乳を食料とするだけであった。ついに、かれの旧友イェスゲイの子が諸部族の長になったというしらせを聞きや、かれは往（い）ってこれに参加しようと決心した。かれは一一九六年の春、グセウル湖の付近に到着し、そこからテムジンへ取り次ぎを頼んだところ、テムジンはケルレン河上流地方を出発して、往ってかれと会見した。テムジンは属下から家畜税を徴発し、その収益をかれに渡した。その秋、テムジンはトラ河畔で宴会を開き、ワン・カンがイェスゲイと旧好あったことを思い、以後はワン・カンを父と見なして仕えることを約束した。<br />
高橋
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%A5%BF%A5%A4%A5%C1%A5%A6%A5%C9">
 <title>タイチウド</title>
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 <dc:date>2008-07-24T14:06:43+09:00</dc:date>
 <description>タイチウト氏　Taici'ud,Ra.Taici'ut 　泰赤・大丑禿。この氏の名は、中国語の「太師」のモンゴル語化したTaiciの複数形か。「太師」は「大石」「泰実」などとも書かれ、遊牧王者たちの尊称。前にふれたように、アンバガイの祖父チャラカイ・リンクゥの子孫は、すべて「狼族」ないしは「ネグス」という氏の名をとった。だがアンバガイがカンとなるに及んで、従来の氏の名は、ほかの兄弟の創めた氏集団に譲って、自らは「タイチウト」という新たに権威ある名称をとったのではないかというのが、訳者村上正二氏の...</description>
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<![CDATA[
テムジンのライバルであるジャムカと同盟を組み、十三翼の戦いに参加した有力氏族。		タイチウド族自身も、テムジンと同盟を組んでいたキヤト族とライバル関係にあった。		十三翼の戦いは、このタイチウド族の馬をジャムカの一族の者が盗もうとしたことがきっかけだと言われている。		史料によっては、この戦いに勝利したジャムカの、敵の捕虜を釜茹の刑に処する、という行ないに信望を失い、その後テムジン側に寝返った、とするものもある。（林）<br />
引用　「ジャムカ - wikipedia」		http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%&#173;B8%E3%83%A3%E3%83%A0%E3%82%AB<br />
タイチウト氏　Taici'ud,Ra.Taici'ut 　泰赤・大丑禿。この氏の名は、中国語の「太師」のモンゴル語化したTaiciの複数形か。「太師」は「大石」「泰実」などとも書かれ、遊牧王者たちの尊称。前にふれたように、アンバガイの祖父チャラカイ・リンクゥの子孫は、すべて「狼族」ないしは「ネグス」という氏の名をとった。だがアンバガイがカンとなるに及んで、従来の氏の名は、ほかの兄弟の創めた氏集団に譲って、自らは「タイチウト」という新たに権威ある名称をとったのではないかというのが、訳者村上正二氏の見解である。　(山本里香)
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%A5%DC%A5%C9%A5%F3%A5%C1%A5%E3%A5%EB">
 <title>ボドンチャル</title>
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 <dc:date>2008-07-22T12:06:17+09:00</dc:date>
 <description>ボドンチャル・ムンカク		「愚か者のボドンチャル」の意。		なお、「ボドンチャル」とは「ボド（大型の家畜、牛、馬を指す）」に似たものの意か。参考文献：モンゴル秘史１&amp;#182;狼と鹿の夫婦の間に生まれたバタチカンの７代後の男子にドブン・メルゲンがいた。		この妻が、アラン・ゴアという名前だ。しかし、アラン・ゴアは、夫に先立たれてしまう。		寡婦となってから、ある夜、一人で寝ていると、天から白い光が下って金色の神人となった。		アランは神人と交わって妊娠し、ボドンチャルが生まれた。		このボドンチ...</description>
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<![CDATA[
ボドンチャル・ムンカク		「愚か者のボドンチャル」の意。		なお、「ボドンチャル」とは「ボド（大型の家畜、牛、馬を指す）」に似たものの意か。<br />
参考文献：モンゴル秘史１<br />
担当：小倉
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%A5%C6%A5%E0%A5%B8%A5%F3%A4%CE%BD%E9%BF%D8">
 <title>テムジンの初陣</title>
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 <dc:date>2008-07-22T11:59:16+09:00</dc:date>
 <description>タタル族の一部族長メウジン・セウリトは１１９４年、金朝の皇帝マダダ［第６代の章相、１１８９−１２０８］に対して反乱したので、この皇帝はこれを鎮圧するために、丞相ワンヤン・シアンの指揮する一軍を派遣した。多くの遊牧諸部族も同時に、反乱者に対して進軍せよとの命令を受けた。テムジンは、多年にわたりモンゴル族の敵でもあったこの民族［タタル族］を悩ます好機がきたことをを喜び、付近にいた少数の軍隊を集め、オノン河畔を出発して、タタル族が女真人に追撃されて北方に多一脚しているところを襲い、その首領を殺し、その...</description>
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<![CDATA[
タタル族の一部族長メウジン・セウリトは１１９４年、金朝の皇帝マダダ［第６代の章相、１１８９−１２０８］に対して反乱したので、この皇帝はこれを鎮圧するために、丞相ワンヤン・シアンの指揮する一軍を派遣した。多くの遊牧諸部族も同時に、反乱者に対して進軍せよとの命令を受けた。テムジンは、多年にわたりモンゴル族の敵でもあったこの民族［タタル族］を悩ます好機がきたことをを喜び、付近にいた少数の軍隊を集め、オノン河畔を出発して、タタル族が女真人に追撃されて北方に多一脚しているところを襲い、その首領を殺し、その重と家畜群を掠奪した。その努力に報いて、ワンヤン・シアンはテムジンに『ジャウト・クリ』という中国の官職を授与したが、これは高級の軍職の一つである。
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
</item>

<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%A5%C1%A5%F3%A5%AE%A5%B9%3D%A5%CF%A5%F3%A4%CE%C0%C4%C7%AF%BB%FE%C2%E5%A1%CA%A3%B1%A1%CB">
 <title>チンギス=ハンの青年時代（１）</title>
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 <dc:date>2008-07-22T11:57:11+09:00</dc:date>
 <description>　イェスゲイが死んだ時、テムジンはわずかに十三歳であったので、父に服属していた《ニルソ》系の諸部族は、みなかれを見棄てた。かれらはこの少年の命令に服することを欲せず、カイド・カンの後裔でモンゴル族の中の最も強力な部族であったタイチウト氏族長のタルグタイの麾下にはしったのであった。アンバカイ・カンが処刑された後、その家族とタイチウト氏族の首領たちは共同して後継者を立てようとしたが、新しい君主の選出について一致を見ることができなかった。かれの死の直後に、だれがタイチウト氏族を統率したかは不明であるが...</description>
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<![CDATA[
　イェスゲイが死んだ時、テムジンはわずかに十三歳であったので、父に服属していた《ニルソ》系の諸部族は、みなかれを見棄てた。かれらはこの少年の命令に服することを欲せず、カイド・カンの後裔でモンゴル族の中の最も強力な部族であったタイチウト氏族長のタルグタイの麾下にはしったのであった。アンバカイ・カンが処刑された後、その家族とタイチウト氏族の首領たちは共同して後継者を立てようとしたが、新しい君主の選出について一致を見ることができなかった。かれの死の直後に、だれがタイチウト氏族を統率したかは不明であるが、ただイェスゲイの死後、タイチウトの人びとが兵をもってその子［テムジン］を攻めた時、アダル・カンの子のタルグタイが君主であったことが知られるだけである。イェスゲイの寡婦［ホエルン・エケ］は馬に跨がり、牛の尾で作った軍旗、すなわち《トク》を手に握り、自らかれらを追撃したが、わずかにその少数を連れ戻すことができたにすぎなかった。		　テムジンの徒党はほかの多くの部族の離反によって弱体化したが、その最も有力な部族はジャディラト部族で、その首長は《セチェン》すなわち《賢者》の異称を持つジャムカであった。このジャムカの一族、タイチャルはイルゥ河畔に領地を持っていたが、テムジンの領土のサアリ・ケエル付近のウラガイ・ブラク地区へ数騎を率いて奪しに行った。その部落の近くに、以前にモヌルンを殺したためにテムジンの祖先に奴隷として仕えていたジャライル族の子孫の一人であるジュウチ・タルマラの牧地があった。ジュウチ・タルマラは自分の場群の中に身を隠し、［掠奪に来た］タイチャルの近づくのを見るや、矢を放ってこれを射殺した。この殺害事件の結果、ジャムカはテムジンに対し敵意を抱き、自分の牧民とともにタイチウトの側に従い、イキラス、ウルウト、ノヤキン、ゴルラスなどの諸氏族もこれに加勢した。
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%A5%E2%A5%CC%A5%EB%A5%F3">
 <title>モヌルン</title>
 <link>http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%A5%E2%A5%CC%A5%EB%A5%F3</link>
 <dc:date>2008-07-22T11:52:34+09:00</dc:date>
 <description>『元史』及びラシェードでは『秘史』の書写とは異なって、莫孥倫　Monulun　と書き、メネン&amp;#8226;トドンの妻とする。なお、ラシードによると、このモヌルンは　Monulun Tarrun、すなわち「肥えたモヌルン」とか「金持のモヌルン」などと呼ばれた。その夫の名もまた、メネン&amp;#8226;トドンで、「豊かなトドン」を意味したように、ボドンチャルの子孫はこの世代になってからにわかに豊となり、羊群のごときは数えきれず、広い谷間を埋め尽くして、それをモヌルンは山頂から眺めやって満足の意を示したと...</description>
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『元史』及びラシェードでは『秘史』の書写とは異なって、莫孥倫　Monulun　と書き、メネン&#8226;トドンの妻とする。なお、ラシードによると、このモヌルンは　Monulun Tarrun、すなわち「肥えたモヌルン」とか「金持のモヌルン」などと呼ばれた。その夫の名もまた、メネン&#8226;トドンで、「豊かなトドン」を意味したように、ボドンチャルの子孫はこの世代になってからにわかに豊となり、羊群のごときは数えきれず、広い谷間を埋め尽くして、それをモヌルンは山頂から眺めやって満足の意を示したという。<br />
（担当：三谷）
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%C1%F3%A4%AD%CF%B5">
 <title>蒼き狼</title>
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 <dc:date>2008-07-22T11:44:12+09:00</dc:date>
 <description>モンゴル部族の始祖であるバタチハンを生んだ族霊とでもいうべき存在は、上天の命令によってこの世に生を享けた蒼き狼と白い牝鹿という一組の夫婦だった。２人とも定からぬ土地から大きい湖を越えて、オナン、ケルレン、トラの三大河上源の当るブルハン獄の麓に移住し来って、それ以来ここをモンゴル族永住の地としたのである。&amp;#182;（担当：東俊介）&amp;#182;モンゴル部族の始祖であるバタチハンは、を生んだ族霊とでもいうべき存在は、上天の命令によってこの世に生を享けた蒼き狼と白い牝鹿という一組の夫婦だった。２人とも...</description>
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モンゴル部族の始祖であるバタチハンを生んだ族霊とでもいうべき存在は、上天の命令によってこの世に生を享けた蒼き狼と白い牝鹿という一組の夫婦だった。２人とも定からぬ土地から大きい湖を越えて、オナン、ケルレン、トラの三大河上源の当るブルハン獄の麓に移住し来って、それ以来ここをモンゴル族永住の地としたのである。<br />
参照　　モンゴル帝国史研究　村上正二著　風間書房<br />
（担当：東俊介）
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<dc:creator>kk0548025, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%BD%BD%BB%B0%CD%E3">
 <title>十三翼</title>
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 <dc:date>2008-07-22T10:44:36+09:00</dc:date>
 <description>十三翼		1チンギス・カンの母ホエルンとそのオルドゥに付属する僕碑や「家の子」郎党ら。		2チンギス・カン及びその諸子・僚友・諸将。そしてチンギス・カンの親衛兵団。		3カブル・カンの兄弟のセン・カチュラの子孫、ブルテチュ・バアトル　Bultecu Ba'aｔurの率いるアダルギン氏。これと同盟するムクル・カウラン Muqur Qauran の率いるケレイト部族の一分派トベゲン族及びこれらに隷族するコルラス族。		4カブル・カンの孫のソルカドゥ・ノヤン（これは次に述べるソルカドゥ・ユルキと同一人...</description>
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十三翼		10 一三の団営　　haban runban gure'ed gure'edはguriyen〜kuriyenの複数形で、「団営」とか「円陣形の運営」の意。ラシィードはこの箇所で、この「クリエン」の説明を行って、「部族がどこかに駐営する時は彼らは輪に似た形で陣を張ってその円陣の真中には中央の点のように首長が位置するが、それをクレンと名づけるのである。」（Smironva,II.vol.2,p.86)という。団営の詳しい意味については、前出、第九〇節の注を見よ。なお、チンギス・カン側でこの際に編成した一三の団営の内容については『新征録』やラシィードの記述の記述に詳しい。今、ぺリオや本田実信教授らの諸研究に、私見を交えて解説すると、一三団営は次のように構成されていた。		1チンギス・カンの母ホエルンとそのオルドゥに付属する僕碑や「家の子」郎党ら。		2チンギス・カン及びその諸子・僚友・諸将。そしてチンギス・カンの親衛兵団。		3カブル・カンの兄弟のセン・カチュラの子孫、ブルテチュ・バアトル　Bultecu Ba'aｔurの率いるアダルギン氏。これと同盟するムクル・カウラン Muqur Qauran の率いるケレイト部族の一分派トベゲン族及びこれらに隷族するコルラス族。		4カブル・カンの孫のソルカドゥ・ノヤン（これは次に述べるソルカドゥ・ユルキと同一人物を指したものと本訳者は解する）の庶子のデレンギ　Derengi、コリダイ　Qauran兄弟の率いるキャト氏（これらは次のものと同様にジュルキン族の一分派をなしたものか）とその同盟者たるブタアト族。		5カブル・カンの孫のソルカドゥ・ユルキの子のサチャ・ベキの率いるキヤト・ジュルキン族。		6同じく、ソルカドゥ・ユルキの子のタイチュの率いるキヤト・ジュルキン族、それに5と4にも隷属していた同じジャライル族の集団。		7カブル・カンの諸子のクラン、カダアン、トドエンらの率いるキヤト氏集団。		8カブル・カンの孫のモンゲトゥ・キヤンの率いるキヤト。チャンシウトとそれに隷属するオングルらのバヤウト族。		9チンギス・カンの叔父のダリダイ・オッチギンと従兄弟（ネクン。タイシ祖父の子）のクチシャルらの率いるキヤト・サヤール Qiyad Sayar　氏とこれらに隷属するネグス、コルカン、サカイト、ヌルジンなどの隷属民の諸族。		10カブル・カンの子で、前代のカハンとなったクトラ・カンの子のジョチ・カンの率いるキヤト氏集団。		11同じくクトラ・カンの子のアルタンの率いるキヤト氏集団。		12ダキ・バアトルの率いるキンギヤト氏とそれに隷属するスケゲン族。		13タイチウト族出身のアンバガイ・カハンの異母弟のゲンドゥ・チノGendu Cino（牝狼）兄弟の子孫と伝えられるネグス族の狼の一集団。		右の一三団営の内容を見ると、チンギス・カンの直属統率するものは1と2の二翼にすぎず、ほかは前代のモンゴル・カハンであったクトラ・カンの子孫が10と11の二翼、カブル・カン直系のキヤト・ジュルキン氏集団が、456の三翼をそれぞれ構成しており、又789の三翼」もキヤト氏集団が主体をなしていた。すなわち、一三翼のうち十翼までが、カブル・カンの子孫たるキヤト氏集団とその隷属民の所属とから構成されていたのであった。しかもその中で、キヤト・ジュルキンやクトラ・カンの子やジュルキン族のサチャ・ベキ、タイチュらに推されて、カハンになったとはいえ、当時彼の権力はジャムカとの対抗上、これらキヤト氏集団の有力者たちの政治的連合によって一時的に支持されていたものにすぎず、したっがて、チンギス・カン個人の勢力はまだまだ不安と動揺に包まれていたものであることを忘れてはなるまい(Pelliot et Hambis,p.p.49-139/本田実信「成吉思汗の十三翼について」―「東方学」第四)。		担当者　西村
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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 <title>ジョチ=カサル</title>
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 <dc:date>2008-07-19T15:47:03+09:00</dc:date>
 <description>カサル　Qasar,Ra. Joci Qasar 合撒・槊只合撒・拙赤薩（一一六二−一二一三）。		&amp;#182;『秘史』によると、テムジンより二歳若い弟だが、幼女のころから身丈は兄より大きく膂肉に恵まれ、強引を引いたので、『アルタン・トプチ』などには「強弓引きのカサル」という意で、Qubutu Qasar　などと呼んでいる。チンギス・カンが世に出るに当たっては、これを助けて大いに尽力したが、後に兄と権力の座を争うものとして兄にうとんぜられたらしく、その片は『秘史』の第二四四節の中にも見られる。...</description>
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チンギス＝ハーンの弟。父はイェスゲイ・バアトル。 		ジョチ＝カサルと呼ばれており、ジョチが名で、カサルは「勇猛な」という意味。大力の持ち主で、逆三角体型のマッチョだったらしい。 		血統＆能力的にある意味、チンギス＝ハーン最大のライバルともいえる。		ジョチ＝カサルは、戦士としてずば抜けた力量を持ち、指揮官としても優秀であった。		チンギス＝ハーンが裸一貫より草原の王者までのし上がれた要因のひとつがジョチ＝カサルの個人的資質にあることは疑いない。ただし「忠実な弟」の役割に徹しきれないなど、政治的見識に欠ける面もあり、結果的にその功績ほどの恩賞が与えられなかった。 (鍋山)<br />
参考　「蒼き狼」人物列伝		http://rh1125.ld.infoseek.co.jp/prof&#173;ile.html<br />
カサル　Qasar,Ra. Joci Qasar 合撒・槊只合撒・拙赤薩（一一六二−一二一三）。		『秘史』によると、テムジンより二歳若い弟だが、幼女のころから身丈は兄より大きく膂肉に恵まれ、強引を引いたので、『アルタン・トプチ』などには「強弓引きのカサル」という意で、Qubutu Qasar　などと呼んでいる。チンギス・カンが世に出るに当たっては、これを助けて大いに尽力したが、後に兄と権力の座を争うものとして兄にうとんぜられたらしく、その片は『秘史』の第二四四節の中にも見られる。なおカサルという名について、これをサンスクリット語のkesara（「獅子のたてがみ」）や、それから出たkesarin（「獅子」）、又はチベット語のgesar(著名な「モノゴルのゲセル・カン物語」のゲセルの語源か)に求めるもの、あるいは後にウイグル語にウイグル語にはいって、caisaraとなったというラテン語の「カエサル」caesarに由来すると説くものもあるが、ぺリオは、『秘史』の第七八節に「カサル犬」とあるところから、「カサル」とは今日のespagnol犬のごとく産地名をいったもので、それは多分『唐書』に見える可薩国のことで、したがってカサル犬とはその国産出の猛犬を指したものと解釈できるという（Peliot et Hambis,ibid.p.p. 171-175）。　　　（米田）
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<dc:creator>tmatsu, ゲスト</dc:creator>
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 <title>コクセウ・サブラク（ナイマン）</title>
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 <dc:date>2008-07-08T14:30:20+09:00</dc:date>
 <description>担当　船越&amp;#182;コクセウ・サブラク		Kokse'u Sabrar 〜Koksegu Sabrar,Ra Koksugu Sabraq 可克薛兀・撤ト喇黒、可克薛古・撤ト喇黒、曲薛吾・撤八刺（『親征録』、『元史』「太祖紀」）。本節の他にも出てくるナイマン国の勇将として名高い。ラシィードの語訳によると、この人名の最初のKoksuguとは、「喘息か肺の病で、声のかすれた人」をいうとあるが、この説は正しい。『テュルク語方言辞典』の著者ラドロフによっても、Kokcayという名詞形には「肺病」、ko...</description>
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<![CDATA[
コクセウ・サブラク		Kokse'u Sabrar 〜Koksegu Sabrar,Ra Koksugu Sabraq 可克薛兀・撤ト喇黒、可克薛古・撤ト喇黒、曲薛吾・撤八刺（『親征録』、『元史』「太祖紀」）。本節の他にも出てくるナイマン国の勇将として名高い。ラシィードの語訳によると、この人名の最初のKoksuguとは、「喘息か肺の病で、声のかすれた人」をいうとあるが、この説は正しい。『テュルク語方言辞典』の著者ラドロフによっても、Kokcayという名詞形には「肺病」、kokca〜kokco-という動詞形には、「起こる、怒鳴る、胸から声を無理にしぼり出す」といった意味を附している（Worterbuch,ii,1229-30）。また、「サブラク」についてはべレジンはこの将軍の出身地だろうと推定したが、ぺリオはそれなら、むしろ、彼の所領地の名と考えたほうがよかろうが、カシューがーリーに見えるグズ族の国土のSabra〜Sabra（Brocklmann, Mitteltiirkischer Wortschatz,p.249）とは関係がありそうにもなく、むしろテュルク語のsabra-,すなわち「用意する」という動詞から出た語と解したほうがよかろうとされた（ibid.,p.318）。なお、言い遅れたが、『親征録』や『元史』は、このコクセウ・サブラクという人名を二分して、コクセウとサブラクという別箇の二人の名としているが『秘史』やラシーィドの文脈からみて、同一人の名であることにほぼ間違いはない。この将軍の名声は、モンゴル・テュルク諸部族間には当時鳴り響いていたらしく、『秘史』の第一六二、一六三、一七七、一八九、一九〇、一九四の諸節に頻出する。<br />
担当　船越
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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 <title>トクトア（メルキト）</title>
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 <dc:date>2008-07-08T12:07:40+09:00</dc:date>
 <description>九　トクトア　　Toqto'aToqutora,ra,Toqta　脱黒脱阿・脱脱。ウドイト・メルキト氏の長であり、同時に又「三つのメルキト」部族全体の首長であったらしい。父の名は、ラシィードの所伝によれば、Tudu'ur-bilge-teginといい、メルキト族を率いて、モンゴル族の首長のカダアン・タイシやクトラ・カンと果敢な抗争を展開した英雄的人物。たぶん彼の時に、メルキト族はモンゴル・ウルス及びケレイト王国を一時的ながらも壊滅させたらしい。その子のトクトアも又そうした父の功業を受け継いで、モ...</description>
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九　トクトア　　Toqto'a&lt;Toqutora,ra,Toqta&gt;　脱黒脱阿・脱脱。ウドイト・メルキト氏の長であり、同時に又「三つのメルキト」部族全体の首長であったらしい。父の名は、ラシィードの所伝によれば、Tudu'ur-bilge-teginといい、メルキト族を率いて、モンゴル族の首長のカダアン・タイシやクトラ・カンと果敢な抗争を展開した英雄的人物。たぶん彼の時に、メルキト族はモンゴル・ウルス及びケレイト王国を一時的ながらも壊滅させたらしい。その子のトクトアも又そうした父の功業を受け継いで、モンゴル、ケレイト族との戦いを継続した北方の英雄であった。なお、第一八一節には、彼の名はトクトア・ボエ Toqto'a Boeと見える。このBoeとはラシィードにBekiと記されているものと同じで、ウラジーミルツォフの見解によれば、北方の「森の民」の首長がとった名称であり、「巫者的権能を持つ王国」の意味であるという（ウラジーミルツォフ、前掲書、一二八頁。ibid.p.61。）このベキについて詳しくは、第二一六節の注を見よ。ちなみにぺリオによると、トクトアという人名は、モンゴル、テュルク語のtoqta-,すなわち「立ち留まる」という動詞からでたもので、当時のテュルク、モンゴル人にはよく見受けられた人名である（Pelliot et Hambis,p.271）。		　西村
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%A5%B8%A5%A7%A5%D9">
 <title>ジェベ</title>
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 <dc:date>2008-06-24T11:03:06+09:00</dc:date>
 <description>(担当：矢野)&amp;#182;jebe,ra,jebe〜yeme(Juwainyi,Nasawi)　者別・哲別・遮別・閣別・折不那演・博（？−一二二五）。ベスト族出身の勇将。本節によれば、タイチウト族の「は巨」だったと見える。そしてその本名は「ジルゴアダイ」jirgo-adai　すなわち「第六」という名であったというが、チンギス・カンから特に、「ジェベ」という名を賜ったとある。「ジェベ」とは『元史語解』によれば「梅針前」とあり、現代モンゴル語では一般に「矢の尖った先」「矢尻」あるいは「　路」などの意...</description>
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jebe,ra,jebe〜yeme(Juwainyi,Nasawi)　者別・哲別・遮別・閣別・折不那演・博（？−一二二五）。ベスト族出身の勇将。本節によれば、タイチウト族の「は巨」だったと見える。そしてその本名は「ジルゴアダイ」jirgo-adai　すなわち「第六」という名であったというが、チンギス・カンから特に、「ジェベ」という名を賜ったとある。「ジェベ」とは『元史語解』によれば「梅針前」とあり、現代モンゴル語では一般に「矢の尖った先」「矢尻」あるいは「　路」などの意があるが、本節にその動詞形として、jeberekui　で、傍訳に「戦的」とあり、又一般にjebseg に「武器」という意もあるから、もともと「突撃する」という意味の動詞からでも派出		した名詞なのであろうか。ともあれ、ジェベはチンギス・カンに仕えてから、ジェルメ、スブタイ、クビライとともにチンギス・カン　下の「四狗」Dorben noras　として常にその軍の先鋒に立ってナイマン王国を攻め、金国への侵攻の際には、居　関の険を奪って深く山東の地を犯した。又チンギス・カンの西征に参加しては、スブタイとともに逃げるホラズム国王に追撃して、カスピ海をめぐり、コーカサス山脈を越えて、ロシア諸侯の軍と戦い、これを破ってチンギス・カンの帰還する軍と合流して、本土に戻ったが、まもなく死去した。功臣表では四十七位に列す。『秘史』の第一四六・一四七・一五三・一九三・一九五・二〇二・二〇九・二二一・二四七・二四八の諸節に見える（『新元史』巻一二三）。<br />
(担当：矢野)
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%BD%BD%BB%B0%CD%E3%A4%CE%C0%EF%A4%A4">
 <title>十三翼の戦い</title>
 <link>http://www.qutug.com/qutugxoops/modules/pukiwiki/?%BD%BD%BB%B0%CD%E3%A4%CE%C0%EF%A4%A4</link>
 <dc:date>2008-06-17T11:02:34+09:00</dc:date>
 <description>（担当：辻）&amp;#182;担当：辻&amp;#182;３　これがいわゆる《十三翼の戦い》である。テムジンが十三のクリエン（牧民集団）を率いたことから、その兵力は十三翼と称せられた。ラシードにくわしい記事がある。十三翼の実体については、本田実信「成吉思汗の十三翼について」（『東方学』、昭和２７年、第４輯、６１−７２頁）を参照。十三翼の戦いの経過や勝敗ついては不明確な点が多いが、１１８９年ころにおこった事件のようで、いずれにせよ、この戦いののちタイチウト氏族の勢力が弱化したことは事実のようである。&amp;#182;...</description>
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<![CDATA[
　テムジン、数部族の長となる		　その後テムジンは首尾よく数部族を自分の支配下に統合(注１)して、タイチウト氏族に対して戦勝を博したが、これはかれの成功の第一歩となった。［さて、この勝利の話であるが、ジャムカの率いる］３万騎が奇襲を試みて進軍して来たことを聞いたテムジンは、ただちに部下の兵をインゴダ河にそそぐ小流、バルジュナ河(注２)の平原に集めた。その軍勢はわずかに一万三千に過ぎなかったけれもど、かれはタイチウト氏族を待って、これを破った(注３)。この河畔に森があり、テムジンは残酷にもその捕虜を８０の釜の中に入れて煮殺した。そのまさに収めた成功の結果として、多数の小部落はテムジンの陣営にはしるにいたった。(注４)<br />
注		１　ドーソンは明記していないが、これはテムジンがジャマン（巫）のウスン・エブゲンらによって推戴されてモンゴル部族連合の長、すなわちカンとなったことを伝える『元朝秘史』の記事に対応する。テムジンはここにチンギス・カンを称したが、これがいわゆるかれの第一次即位である。『蒙古源流』によると１１８９年のことといわれる。<br />
２　インゴダ河は黒龍江の支流で、オノン河の北（チタ市の南）を西に流れてシルカ河となって黒龍江注ぐ。バルジュナは『秘史』ではダラン・バルジュスの野とある。バルジュ（またはバルジュト）、バルジュンが原型と見られる。<br />
３　これがいわゆる《十三翼の戦い》である。テムジンが十三のクリエン（牧民集団）を率いたことから、その兵力は十三翼と称せられた。ラシードにくわしい記事がある。十三翼の実体については、本田実信「成吉思汗の十三翼について」（『東方学』、昭和２７年、第４輯、６１−７２頁）を参照。十三翼の戦いの経過や勝敗ついては不明確な点が多いが、１１８９年ころにおこった事件のようで、いずれにせよ、この戦いののちタイチウト氏族の勢力が弱化したことは事実のようである。<br />
４　ドーソンはラシードによったのであるが、『秘史』ではジャムカがチノス氏族の一族７０人を鍋に煮て殺したということになっている。<br />
（担当：辻）
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<dc:creator>tmatsu, 2008ken</dc:creator>
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